崇教真光

岡田恵珠 略歴

昭和4年12月16日本名「井上甲子(いのうえこうこ)」誕生。
昭和16年大月市民病院の看護婦として勤務時、岡田良一と知り合う。
昭和22年頃岡田良一と2人で世界救世教に入信。
昭和34年岡田良一の養女(愛人)となる。
昭和38年11月岡田光玉と共に、世界真光文明教団を立教(宗教法人の許可が下りる)。
昭和49年6月23日に岡田光玉が死去。
教団は「6月13日、光玉は2代教え主を関口榮にという神示を受けていた」と主張し、関口榮を後継者に指名。
しかし岡田恵珠は「死去の10日前、光玉からの教え主継承の儀は終えている」と反論し、7月に代表役員の登記を済ませてしまう。
昭和49年9月18日上記の経緯により、関口榮は代表役員の地位を求めて提訴。
昭和52年3月31日「関口榮が代表役員である」という最高裁判決を得て、正式に関口榮が世界真光文明教団の2代教え主に就任。
昭和53年6月裁判に負けた為、世界真光文明教団から分派独立し、崇教真光を立教。
しかし、自身の肉親も学校時代の友人も誰も崇教真光の信者ではない。
昭和??年崇教真光青年隊(略称「真光隊」)を結成。
昭和58年1974年に世界真光文明教団が発行した布教書『真光問答』を、同一内容で崇教真光として発行。
昭和59年総工費400億円をかけて元主大神宮(世界総本山、現:元主晃大神宮)を岐阜県高山市に建立。
平成5年現・教え主代理である岡田晃弥を養子にする。
書家の手島右卿(岡田晃弥の父)の愛人となった縁による。
平成12年11月「陽光子の三大徳目」として“感謝・ス直・心の下座”を提唱。
平成14年10月岡田晃弥を教え主代理に任命。
最後の教示は『正法実践こそ宝なり』。


戻る